風の色


 

「疲れたか?」

背後から投げかけられた声に、シュリは弾かれたように振り返った。
一仕事終えて訪れた休息時間。
珍しく、人が近づく気配に気がつかない程、意識が散漫になっていたらしい。

声の主は、ひょんなことから行動を共にするようになった青年――セスだった。
海から掬い出したような彼の碧の瞳に気遣う色を見つけて、シュリは首をゆるりと横へ振った。

「いや。 ちょっと考え事をしていただけだから、心配ない」
「日射病にならないよう、なるべく帆影へ入っていた方が良いよ」
「ああ。……しかしそれをあなたに言われても説得力が無い気もするが」

ついさっきまで太陽が燦々と降り注ぐ下で駆け回っていたのは、誰でもなく注意を促した本人だ。

「あー・・・ほら、俺は船乗り暦が長いし。 君よりも海上の太陽に耐性があると思う。…多分」

決まり悪そうに視線を逸らす様子に、シュリの口から笑いがこぼれた。

「ところで熱心に海を見ていたけど。何か気になる物でもあったのか?」

細波立つ海面を見渡すように、セスは船の縁に手をかけてぐっと身を乗り出した。
今にも足を滑らせて、海へ転落しそうな危なっかしい体勢に思わず服を掴みそうになるが、彼が展帆作業で軽々と高所の帆桁を歩き回っていたのを思い出して、伸ばしかけた手を戻す。
とうの本人は吹きつける風を全身に受けて気持ち良さそうに表情を緩めている。暢気な様子に呆れて小さく吐息を落としてから、シュリも海へと目を戻した。

「気になる物というか…」
「?」
「海の風は青いんだな、と思っていた」
「風が、青い?」

陽光を弾いて、揺れる水面が忙しなく瞬く。

「俺は“この風”が一番馴染み深いものだから、特に気にした事はなかったけど。 確かに、海と空に囲まれた洋上では風が青く色づいて見えるかもしれないな」
「僕の故郷では森や草原を通り抜ける・・・緑薫る風が馴染み深いものだから・・・」

ひゅうひゅう音を立てて耳元を通り抜けていく潮風に、ふと、シュリは故郷で共にあった“風”を思い起こす。
気まぐれで、癪に障った人間は片っ端から切り裂いていた、風……風使いの少年。

.類まれな魔力を持ち、戦争中は貴重な戦力となって支えてくれた少年であったが、無愛想で斜に構えた性格から人間関係で問題を起こすことも多く、軍内のに良くつむじ風を吹かしてくれたものである。

彼が起こす嵐の仲裁役に立たされることの多かった傭兵達は、場を収めるはずが少年の神経を逆撫で、怒りの矛先を向けられることが良くあった事を思い出す。
本人達には不本意だが、切り裂かれの筆頭に名が上がっていた筈だ。
荒れる風を更に煽るのを楽しんでいた少年もいたが、詰めが甘くて自身に余波を受ける事もままあり……。.

蔓を引くように次々と思い出される仲間たちの姿に、シュリの口元が自然と緩んだ。

「故郷は、君にとって本当に大切で心地良い場所なんだな」
「え?」
「故郷の話をする表情が柔らかいから」
「……」
「楽しそうだ」

セスの言葉に戸惑いを覚え、シュリは己の顔に手をやる。

「楽しそう、僕が?」

故郷の想い出はどれもが大切だけれど、痛みを伴うものが多くて。
旅の間、無意識のうちに眉間に皺を寄せてはグレミオに心配を掛けていたものである。

だが、今日はちくちくとした痛みは相変わらず感じるけれども、記憶の引き出しを開く心は穏やかな気がする。無意識に浮かべていた表情はセス曰く“楽しげ”だったらしい。.

四方何処を見渡しても大地の端さえ見えない、たゆたう水に一面覆われた、海。

何故、今日の自分はこんなにも穏やかにあの頃の記憶を思い起こす事が出来るのだろう。

頼り気無い足取りで船に乗る大地の旅人の感傷を、広大な海が飲み込んでくれたのだろうか――

故郷の地に馳せた慕情を、青い風が包み込み、いずこかに運び去ってくれたのだろうか――

 

「しかし知らなかったなー」
「え?」

唐突にぽつり呟かれた言葉に、シュリは隣の青年を振り返る。
かち合ったのは、胡乱気なセスの顔。

「癪に障った人間を切り裂く風…トランはそんな恐ろしい風が吹く魔境の地だったのか」
「は?」
「気まぐれで、癪に障った人間は片っ端から切り裂く風っが吹く。…さっき言っただろう?」

……無意識に、ココロの声が音に出ていたらしい。

「いや、それは」
「知らなかった。 それとも先の戦乱が自然界に何か影響でも?」
「だから自然界の風の事ではなくて…」
「ふむ。キリルの事もあるし…。トランの辺りには実はあちらとこちらの世界の“狭間”があったりするのか…」

妙な方向に思考を向けてしまったらしい青年に、シュリは少しばかり慌てる。
大切な故郷に妙な認識を持たれたら、たまったものではない。

「ちょっと待て、人の話を聞いてくれ! トランは魔境と違うからな!!」
――ぷっ。ククク…っ」
「あ」

セスが笑い出したところで、ようやく自分がからかわれた事に気付いた。

「セス!!」

憮然とした顔で睨めば、ゴメンと即座に謝罪が返ってきたが、肩を震わせたまま言われても感じられる誠意は半減である。

「実はあの国出身の友人が居てね。…まだ赤月と呼ばれていた頃だけど、少しだけ滞在した事もあるんだ」
「! セスが?」
「だから。 彼の地が、爽やかな風の吹く、やさしい人達の住む地だということも知っているよ」
――っ」

 

目を細めて笑ったセスの背後から風が吹き上がり、柔らかい髪をふわりと揺らす。

海と風の青が、鮮やかさを増した気がした。

 

「おーい坊主ども! いつまでもくっちゃべってないで、そろそろ仕事に戻れよー!!」

「・・・あ、はい!」
「もう一度船倉から帆布を運び出せば昼の休憩時間の頃合いだ。さっさとやってしまおうか」
「そうだな」

「二人とも早く終わらせて昼にしようぜ。今日は休憩時間のヤツらが釣りをしていて大漁だったから食事が豪華らしいからな。急がないとなくなっちまうかもしれないぞ?」

通りがかりの水夫の言葉に、シュリとセスは顔を見合わせ慌てて走り出した。

 

 + + + + + +

 

「ところで。結局切り裂きかます風というのは、何のことだったんだ?」
――知人の風使いが、気に食わないことがあると、ちょっと…」
「……気に食わないと切り裂きかます人物って。 魔境じゃなくても、それはそれで凄い環境に居たんだな、シュリ君って」
――――はは」

シュリは返答に窮して乾いた笑いを零した。



お題部屋の「
風の分身」と繋がっています。直後の話。

08/07/30  

 


 

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