風の色
「疲れたか?」 背後から投げかけられた声に、シュリは弾かれたように振り返った。 声の主は、ひょんなことから行動を共にするようになった青年――セスだった。 「いや。 ちょっと考え事をしていただけだから、心配ない」 ついさっきまで太陽が燦々と降り注ぐ下で駆け回っていたのは、誰でもなく注意を促した本人だ。 「あー・・・ほら、俺は船乗り暦が長いし。 君よりも海上の太陽に耐性があると思う。…多分」 決まり悪そうに視線を逸らす様子に、シュリの口から笑いがこぼれた。 「ところで熱心に海を見ていたけど。何か気になる物でもあったのか?」 細波立つ海面を見渡すように、セスは船の縁に手をかけてぐっと身を乗り出した。 「気になる物というか…」 陽光を弾いて、揺れる水面が忙しなく瞬く。 「俺は“この風”が一番馴染み深いものだから、特に気にした事はなかったけど。 確かに、海と空に囲まれた洋上では風が青く色づいて見えるかもしれないな」 ひゅうひゅう音を立てて耳元を通り抜けていく潮風に、ふと、シュリは故郷で共にあった“風”を思い起こす。 .類まれな魔力を持ち、戦争中は貴重な戦力となって支えてくれた少年であったが、無愛想で斜に構えた性格から人間関係で問題を起こすことも多く、軍内のに良くつむじ風を吹かしてくれたものである。 彼が起こす嵐の仲裁役に立たされることの多かった傭兵達は、場を収めるはずが少年の神経を逆撫で、怒りの矛先を向けられることが良くあった事を思い出す。 蔓を引くように次々と思い出される仲間たちの姿に、シュリの口元が自然と緩んだ。 「故郷は、君にとって本当に大切で心地良い場所なんだな」 セスの言葉に戸惑いを覚え、シュリは己の顔に手をやる。 「楽しそう、僕が?」 故郷の想い出はどれもが大切だけれど、痛みを伴うものが多くて。 だが、今日はちくちくとした痛みは相変わらず感じるけれども、記憶の引き出しを開く心は穏やかな気がする。無意識に浮かべていた表情はセス曰く“楽しげ”だったらしい。. 四方何処を見渡しても大地の端さえ見えない、たゆたう水に一面覆われた、海。 何故、今日の自分はこんなにも穏やかにあの頃の記憶を思い起こす事が出来るのだろう。 頼り気無い足取りで船に乗る大地の旅人の感傷を、広大な海が飲み込んでくれたのだろうか――? 故郷の地に馳せた慕情を、青い風が包み込み、いずこかに運び去ってくれたのだろうか――
「しかし知らなかったなー」 唐突にぽつり呟かれた言葉に、シュリは隣の青年を振り返る。 「癪に障った人間を切り裂く風…トランはそんな恐ろしい風が吹く魔境の地だったのか」 ……無意識に、ココロの声が音に出ていたらしい。 「いや、それは」 妙な方向に思考を向けてしまったらしい青年に、シュリは少しばかり慌てる。 「ちょっと待て、人の話を聞いてくれ! トランは魔境と違うからな!!」 セスが笑い出したところで、ようやく自分がからかわれた事に気付いた。 「セス!!」 憮然とした顔で睨めば、ゴメンと即座に謝罪が返ってきたが、肩を震わせたまま言われても感じられる誠意は半減である。 「実はあの国出身の友人が居てね。…まだ赤月と呼ばれていた頃だけど、少しだけ滞在した事もあるんだ」
目を細めて笑ったセスの背後から風が吹き上がり、柔らかい髪をふわりと揺らす。 海と風の青が、鮮やかさを増した気がした。
「おーい坊主ども! いつまでもくっちゃべってないで、そろそろ仕事に戻れよー!!」 「・・・あ、はい!」 「二人とも早く終わらせて昼にしようぜ。今日は休憩時間のヤツらが釣りをしていて大漁だったから食事が豪華らしいからな。急がないとなくなっちまうかもしれないぞ?」 通りがかりの水夫の言葉に、シュリとセスは顔を見合わせ慌てて走り出した。
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「ところで。結局切り裂きかます風というのは、何のことだったんだ?」 シュリは返答に窮して乾いた笑いを零した。
08/07/30 |
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